競馬予想のホネ【坂路ビシビシの日々〜 重賞予想と追い切り注目馬&レース回顧】

“競馬予想の再生 〜Re:Bone を目指して” 競馬予想の骨組みを、しっかりと組み立て、振り返るーー それを目的とした半自分向けノート(備忘録)として綴っています。重賞展望、調教評価、回顧記事、平場予想などを掲載中。穴馬探しに、人気馬の取捨検討に、あなたの予想の“最後のスパイス”としてお役立てください。

【宝塚記念 2025 レース回顧・結果】雨上がりの開幕2週目の馬場でついにG1馬へ

――……にしても、「雨回避」も開催繰り上げの理由の一つだったと聞くので、人は自然には敵いませんな、とつくづく思い知らされるところ(そして、開催終了後の6月最終週の阪神付近は晴れるんだろうなぁきっと)。

宝塚記念 2025 レース結果

 

 

着順 馬名 タイム 上3F
1 メイショウタバル 2:11.1 36.0
2 ベラジオオペラ 2:11.6 36.4
3 ジャスティンパレス 2:11.6 35.1
4 ショウナンラプンタ 2:11.8 35.9
5 チャックネイト 2:11.8 35.8

 

 

ホネ的! レース回顧 / レース分析 宝塚記念 2025

 

6/16 宝塚記念5 ▲不的中

 

レース全体のふり返り

 

芝は、重スタートでレース時点は稍重、通年平均比-0.5秒/1000m 近辺の内がかなり有利な状態で行われた(当日朝クッション値7.8/含水率G前17.0%4角17.3%)

 

前半1000mを59.1秒で通過、後半1000mを59.8秒にまとめて(11.9 - 11.8 - 11.7 - 12.5の平坦戦/上り3F36.0秒)の2分11秒1決着

 

指数など額面的には、稍重での2分11秒台前半など高く評価されそうだが、リフレッシュ工事以後の馬場(路盤)で上振れに注意が必要な一戦

 

馬場換算後で至って普通のペースを刻んで運んだ割にはラスト1Fが若干掛かっていて、勝ち馬はともかくそこから3馬身離された2着以下勢はG1好走水準に到達していたかは微妙なところ

 

 

 

宝塚記念 2025  各馬ふり返り 予想と結果

 

 

 

ドゥレッツァ

予想➡➡➡

結果➡➡➡9着

内枠からスムーズに、2着ベラジオオペラを終始マークする形で運んできて、勝負どころから全くギヤ上がらずだったところをみると、馬場が合わなかったか輸送を含めた初阪神が影響したか。海外帰り初戦でもあった。

いずれにせよ、力負けではない敗戦とみられる。

 

 

メイショウタバル

予想➡➡➡

結果➡➡➡1着

馬場的には、もう少し水分を含んだ本格重のままなら……というところもありつつ、回復基調の馬場で逃げ馬には絶好モードでもあり……と微妙な情勢だったが、見事押し切った。

3馬身差は若干2着ラインの低調さを表したものだろうが、とにかくここ阪神の上り高速化回避戦で、父譲りのパワフルな脚をいかんなく発揮してみせた。

この日や神戸新聞杯でのラスト1Fを見ても、来年ぜひ大阪杯でベラジオオペラの3連覇阻止にチャレンジしてほしいと思うところ。

 

 

ベラジオオペラ / ◯ジューンテイク / ▲ロードデルレイ 他

2着ベラジオオペラは、この絶好枠×イン前決着必至の絶好環境×得意の阪神でこの程度というのは、相手はどうあれ不満の残る内容。

ここは、目論み通り、蒸し暑くなってきた今日この頃に、弱点をさらけ出した結果と見ておく。

 

◯ジューンテイク(16着)は、想定通り△メイショウタバルの番手で回ってきて、この日のイン前有利馬場のなかこれだけ失速したというのは、まだ戻り切っていなかったのだろう。

2200m重賞の神戸新聞杯での同馬との差を思えばさすがに出し切れていなさすぎる。

 

▲ロードデルレイ(8着)は、折り合いはほとんど欠くことなく運べていたかわりに、後方で厳しい競馬になりながら終始手応えに余裕もなかった。

最後、同じように中団より後ろからインを狙った、前のチャックネイトにも上りで及ばなかったところをみると、平坦戦の流れもさることながら初の稍重馬場が合わなかったとみるべきだろう。

予想としては、あるとしたらこの外枠から出していって、4角を好位で回ってきてというものだったが、これだとその形でも馬場に泣かされていたかもしれない。

 

ジャスティンパレスはどう見ても強い競馬。

少なくとも、ベラジオオペラよりは上だし、この日の馬場を思えば勝ち馬との差も無い、というか逆転まで可能な内容だったと言える。

ただ、そうは言いながらこれが限界の脚質で、出していけたからといって上があるかというとそれも微妙という、生涯悩ましい存在は言わずもがなだが。

もっとも、この馬が突き抜けるなら「あるとすれば、超速馬場での末脚一閃」の見立てだったわけで、そうではない馬場状態でよく頑張っていたが。